フォーシーズンズの歴史
Historic 1980s photo of Four Seasons Hotel exterior, pedestrians on street

1980〜1989年

1980年代、フォーシーズンズはフィラデルフィア、ボストン、ダラス、ロサンジェルス、シカゴなどの米国12都市に旗艦ホテルをオープンします。この頃には、フォーシーズンズブランドに対する認知度も高まっていきました。また、企業戦略にそぐわない物件を手放すことで、「ホテルオーナー兼運営管理会社」から「ホテル管理会社」への本格的な転換を図ります。さらに、当時としては珍しい多目的利用開発の運営管理に着手し、高級住宅環境に関する専門知識の裾野を広げていきました。

1980
フォーシーズンズのビジネスの基盤を築いた4つの戦略的な意思決定の3つ目は「企業文化」です。それまでにもフォーシーズンズの運営には暗黙の哲学がありましたが、事業の拡大に伴い、シャープ氏はそれを明確にしたいと考えました。サービス重視の企業文化を育むには、共通の価値観を持つ必要があると分かっていたからです。そのため、シャープ氏率いるチームは、ひとつのゴールデンルールに基づく企業理念を明確に掲げました。そのゴールデンルールとは、「お客様、スタッフ、パートナー、サプライヤーのすべてに対し、自分がして欲しいと思うことを相手にする」というものです。これが、フォーシーズンズの企業文化の指針となりました。現在では、ネヴィスからカイロに至るすべてのロケーションにおいて、この企業目標、経営理念、経営方針が、世界中で高い評価を得ているフォーシーズンズのサービスの指針となっています。
1981
シャープ氏は、カナダの英雄、テリー・フォックスが、1980年に「希望のマラソン(Marathon of Hope)」を立ち上げたとき、企業スポンサーとして最初に名乗りを上げたひとりでした。フォックス氏は、がんで片足を失くしたにも関わらず、がん研究への寄付金を募るためにカナダ横断マラソンを決行しようとしていました。フォックス氏の熱意がカナダ全土を席巻する前から、シャープ氏はすぐに1万ドルを寄付し、999社のカナダ企業にも寄付を求める手紙を書いたのです。143日目でフォックス氏のガンが再発し、マラソンを断念せざるを得なくなった知らせを受けたシャープ氏は、すぐにフォックス家に電報を送り、テリー・フォックスの名を冠したチャリティーマラソンを毎年開催することを約束します。フォックス氏は、病床のベッドにシャープ氏の電報を飾り、全国放映のテレビで読み上げました。その後、フォーシーズンズは、カナダがん協会や、他の企業スポンサーの協力を得て、1981年に第1回テリーフォックスランを開催します。このマラソンには30万人を超えるカナダ人が参加し、総額320万ドルに上る寄付金が寄せられました。それからも、フォーシーズンズはホテルをオープンした世界各地でテリーフォックスランを紹介しており、フォーシーズンズのスタッフは、何百万ドルにも上るがん研究への寄付金を募ることに成功しています。テリーフォックスランは、現在50カ国以上で開催される世界最大規模のがんチャリティイベントに成長し、2008年までに全世界から4億5,000万ドルを超える寄付金が寄せられました。
1985
1985年、フォーシーズンズ ホテル ボストンにプライベートレジデンスをオープン。それ以降もフラクショナル・オーナーシップ(部分所有権)、実住案件、サービスアパートメントの形態を通して、より多くのお客様にフォーシーズンズのライフスタイルを提供していきました。2000年代には、開発プロジェクトの3分の2において、レジデンス施設が含まれるようになりました。
1986
1986年、フォーシーズンズは北米初の試みとして、くつろいだ空間の中で、フォーシーズンズのきめ細やかなサービスを24時間受けられるフルサービスのスパを併設したリゾートをオープンします。この「フォーシーズンズ リゾート アンド クラブ ダラス」は、フォーシーズンズおよび業界初の試みとして話題を集めました。また、同年にゴルフコースの建設にも着手。このゴルフコースでは、後にバイロン・ネルソン選手権が開催され、ボブ・ホープなどの有名ゴルファーやジェラルド・R・フォード元大統領が腕を競い合い、PGAツアーのチャリティーイベントには何百万ドルもの寄付金が寄せられています。フォーシーズンズはその後も、世界各地で高級スパやゴルフコースの建設を進めていきました。
1986
トロント証券市場に上場。
1986
快適な睡眠を誘うフォーシーズンズ特製マットレスを開発・提供し、好評を得る。
1989
従業員数1万人を達成。
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明白